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すっぽんを捕まえて、捌いて料理した

地方都市郊外の開発地帯に位置する廃材の家。 イオンタウン、ユメタウンどちらも自転車で5分の距離。 歩いて2分の所にセブンイレブンもオープンした。


そんな開発地帯のコンクリートの用水路にもこんなのが居る。 土歩がいつも見回りに行っては「結構大きなのがおったーーー!」と声を弾ませて帰ってくる。 いつもは「どうせ獲れんやろ。」と半ばあきらめ気味に、しかし「もし、獲れたら!」という想いで網を持って駆け付ける。


この日は藻の陰にじーっとしてるので、以前チキントラクター用に溶接した鶏カゴを用いるアイデアを閃いた。 そーっと近づき、すっぽんめがけて「おりゃっっ!」と投げると、一瞬で濁った泥が澄む頃にはキチンとヤツを捕らえるのが確認できた。


後は鉄格子のスキマから網を差し込んですくうのは造作もない事だった。


かなり立派なすっぽん。 1、5㌔の大物。 料理屋で扱う養殖のそれは1㌔未満だそう。


とりあえず、ステンレスのタンクに入れて活かしておく。


一ヶ月以上活かしておいて、泥を吐かせた。 この台風のお陰で作業が出来ないんで、「よし、捌こう!」という気になった。


すっぽんはシンクの中に裏向けにして置くと、首をグーッと延ばしてブリッジして表向きになろうとする。 その延びた首を瞬時に捕まえる。


その首を思いっきりひっぱりながら鋭く研がれた出刃を入れる。


首をハネタ後は活き血を採る。 すぐに固まってしまうので赤ワインで割る。


それからは軟骨で出来た甲羅の裾に切っ先を入れる。


めくるようにして、中の骨に固定されてる身や内臓を切り離してゆく。


甲羅を切り離すためにはしっかりと包丁を入れ、周到に切り離す作業が必要。


最後はバリバリバリッーと力づくで引っぺがす。


こんなん。 鶏で言うところの「玉ヒモ」があり、メスだった。 心臓、レバー、腸、玉ヒモという作りは鶏のそれと近似しているので、分りやすい。


左の活き血から時計周りに、「玉ヒモ」、「腸」、「ハツ、レバー」、「首」、「身」、「エンペラ」、「甲羅」。


まずは活き血で乾杯! 早く飲まないとどんどん固まってくる。 ワインの味が強くて血の味というのはどうだか。 ドロッとして、「いかにも!」といった感。


純正胡麻油と自然海塩で生レバーを頂く。 これは身体が求める崇高なお味。


身は唐揚に。 自然海塩、ブラックペッパーをまぶし、粉をつけて高温でサッと揚げただけ。 スダチで頂くと最高。 鶏唐よりはネットリ、モッチリした濃厚なすっぽん独特の味が楽しめる。


甲羅やエンペラのゼラチン質のプルプルコラーゲンを楽しむにはやはり煮込んだすっぽん鍋。 夏なのでキュウリしかなくって、ちょっと、、、。


最後は大量のシソと刻み海苔で雑炊。 旨味と滋味が凝縮した究極の雑炊。

20代前半の若かりし頃、アウトロー陶芸家の小向氏の窯焚きではじめてすっぽんのコースを頂いた。 その時はもっと大きな野生の禽獣類というイデダチのデッカイ獲物だった。 若かったし、「ワーッ!!!」、「スゲェーーー!!!」という興奮とアゲアゲの雰囲気でガツガツ食べさせて頂いた。 翌朝起きると、顔がベットリのヌメヌメでビックリ仰天した次第。

しかし、やはり自分で獲って自分で捌き、自分で料理するとまた違う境地に至れる。 鰻もすっぽんも鯉も鯰も本当は薬と呼ぶレベルの究極的な食材やと思う。 完全栄養食品の代名詞の卵の更に格上の存在。

「常食するもんじゃない!」という強烈さを味わえる。 それが、滋味に富み超濃厚なこの味わい。

昔から食べて来たんやろうし、今でもこうして身近に獲れる。 こういうものは安易に買ってパクパクっと頂くもんではないね。

更にはこの開発地帯のコンクリート用水路で生息するすっぽんが凄いと思う。 言わば不自然な生態系でもこうして生を確立してる。 獲る場所を知ってるだけに、「どうかなー、、、。」という微妙な所ではある。 (合成洗剤、除草剤、農薬という複合汚染の問題)

でも! それでもこの活きたすっぽんという完全に自立した個体を頂く事が意義深い。 これは無添加とか無農薬というコテ先の商社のプロパガンダを寄せ付けない強靭さを持つ。 不自然な水耕栽培の無農薬野菜にはない、生きるために必要なバイタリティーがある。 それはお互い「活きる者同士」のやりとり。

金払って「体にいいものは何かしら?」とか抜かす自然食オタクよ。 何が体にいいかを情報で調べるな!! 自分の感覚で判断せよ!!!

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