top of page

田舎で自給自足を目指すには、地域の祭りに出た方がいい

10月の最初の土日は神社で秋の大祭がある。


今年はにこちゃんが1年生で太鼓打ちの選手。


廃材の家にも毎年獅子が来るので、急ピッチで片付けた。


ます幟(のぼり)を立てて、道具の搬入。


自分の家なので、野遊も獅子に入る。


獅子の奉納中には獅子組のみんなに一杯やってもらう。


神社では5つの獅子組の一斉奉納。


金の神輿に御神体を乗せて、御旅所での神事の後、またもや一斉奉納。


子ども会のお神輿。 今年は僕が子ども会代表で、土歩が太鼓台の中に入った。


子どもたちは引っ張るだけなので、大人に加勢してもらって差し上げる。


祭りが終わるとすぐに野遊が段ボール獅子を作って土歩と実家の座敷で奉納ごっこ。

毎年やってるけど、やっぱり祭りはいい。 うちの川西部落だけでなく、金倉町全体が一体となってやる神事。

田舎の「しがらみ」や「煩わしさ」をネガティブに受け取るとまず暮らしていくのは大変。 都会のドライな近所付き合いからすると、大変のように見えても実際中に入って自分が主催者側になってしまうしかない。 とはいえ、僕のように先祖代々続いている家の長男で小さい時から参加してるという関係じゃないと急には入りにくい。

それでも、小さい時から参加してない若者が最近入ってくれて獅子に活躍してくれてるという実例もある。 いわゆる講中に入り、そこでのしきたりに従う。 それしかない。 地域社会は変化を嫌う。

今までやってきた慣習を壊して来たのが戦後の急激な変化。 農村の生活とセットのこういう祭りや行事。 生活が変われば当然維持は困難。

しかし、みんなが積極的に関わってこの地域では成り立ってる。 大学生もこの祭りのために帰省してくれてる。 僕も備前焼の弟子時代には師匠に休みを頂いて帰ってた。

まあ今後もずっと続いていくし、過疎化や少子化もいずれ解決していくもの。 会議室で議論するより、実際に祭りで一緒に酒飲まないと話にならない。

廃材生活は革命的だが、極めて保守本流の真っ只中で普通に近所付き合いしながら暮らしてる。 近所のみんなからも「陣くんとこはちょっと変わってる。」というぐらいのもの。

本人が気にする程、他人はイチイチ細かく見てはいないもの。 要は本人があっけらかんとしてたら、廃材やもらいものの生活でも誰にも何とも思われない。

自信持って、どーんと構えろ!!!

bottom of page