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稲刈り中にも来訪者が次々と

朝、早くライダー井桁くんは旅立った。 今回、横浜から天草の旅の途中で寄ってくれた。 前日の朝から丸一日稲刈りを手伝ってくれて超助かった。


7000㌔しか走ってなかったというバイク、ヘルメット、ブーツ、バック類までセットで知り合いから頂いたとか。 僕も20代の頃は400ccのバイクに乗ってたので、めっちゃ羨ましい! こういう埋もれてるバイクとかって多いんやろなー。 長距離の旅なので、車よりは燃費もよくて楽なんだそう。


昨日は親父、僕、あっこちゃん、イッサ、野遊、土歩、にこという少人数でやった。 母親はみんなのご飯やおばあちゃんの世話があるし、弟は自然食品の宅配の仕事で居なかった。 一日目で刈り終えてるので、運んでハゼにかけていくだけ。 以外とにこちゃんが根気よく手伝った。 まだ、このぐらいの年では長時間の作業に付き合うのは難しい。 飽きると強制しない。


子どもたちがジャンジャン運んでくれる。 一輪車じゃなく、この二輪の車は倒れる心配がなく、子どもでも大量に運べる。


途中、シアトルから帰国中のユウコさんとデイブが来た。 デイブはパーマカルチャーの講師で、現在ビル・モリソンの「パーマカルチャー」に次ぐ現代版のパーマカルチャーの本を執筆中とか。 田んぼの見学の後、廃材天国の方も案内した。 ウチの田んぼや廃材の家も載るかも?

アメリカにはボストンとフロリダしか行ったことがないので、西海岸に縁が出来たのは嬉しい。 子どもたちも海外の先進国には行ったことがないので、家族でいきたい所。


最後の落ち穂拾いまで残ったのはイッサと野遊。 途中からハラさんも手伝いに来てくれたのもあって、2日間で稲刈り終了。 井桁くんやハラさんが来てくれたのもあるけど、やっぱり子どもたちの活躍が目覚ましかった。

やはり大きくなってきたのでバリバリやれるようになってきたのか? ここまで一日中やるようになったのは今年から。 野遊は小さい時から作業慣れしてるけど、イッサはまだ2、3年。 最初は「言われてやってる感」だったのが、今年は前向きに楽しんでやるようになった。

「イッサよう頑張ったなー。」と親父たちに褒められても、「お米食べよるんやきん!」と一蹴する。 最も、弟の源に「毎日お米を食べるのと同じぐらい田んぼの作業は当たり前の事や。」と日々言われてるのもある。 ここがデモクラティックスクールのような自由なフリースクールと日本の伝統生活の中での躾の違い。 基本の「子どもを信じて待つ」というスタンスは同じ。 でも、フリースクールのスタッフという存在と「親」というのは全く異質。

家庭の教育と学校であれフリースクールであれ、公教育。 これらは全くもって別なのだ。

ウチの家でで大切にしてる事は上の弟の言葉のように随所に出る。 お米と伝統調味料や発酵食品が大事。 脱砂糖、脱加工品、脱消費という価値観。 これら特殊極まりなく社会の常識から逸脱したものが、ウチの当たり前。

しかしこれは押し付けでも何でもない。 事実、親がいいと思うこと、親の実践するライフスタイルしか子どもには伝えられない。 こういうのを「子どもは普遍的な事を学んだ方がいい。こういう変わった価値観に染めない方がいいんじゃなかろうか?」と心配する親もいらっしゃる。 それを「ブレてる」と言うのだよ。 これはもちろん、自分の子どもに対する躾や教育の事。 他人が他の子どもに対して、他の家の事に関してあーのこーの指摘したり、変に自信がなくて他人に相談したりするからややこしい。

自分自身に曇りのない生き方が確立できておれば、正々堂々と自信を持って子どもに向き合える。 自信を持てる事をせよ! 自分の毎日の生活で。

親の毎日の仕事、買い物、見るテレビやサイトや本、食べるもの、選んで使ってる日用品や電化製品、洗たくやシャンプー、、、。 これら全て、一挙手一投足そのものが躾であり教育なのだ。

と、活字にしたら理屈っぽくなってしまう。 それより「炊き立ての玄米ご飯は美味しいなー!」ってのは自分の本音やから隠しようがない。 そう、本心は必ずその人から出てしまうもの。 頭で考える事自体ナンセンスの極地。

隠せないのだから堂々と居直るのだ!!!

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