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古くなったイスを古着利用で修理する


昔、親父の知り合いの割烹屋が改装する時にもらってきたイス。

廃材の家の食卓は半分が畳に座って、半分はイスとなってる。 子どもたちは畳の方がいいし、僕は作業中にわざわざ地下足袋を脱ぐことなくお昼ご飯にできる。 農家の家のダイニングは土間という昔のスタイルはほんとに理にかなってる。

ただ、イスの座面が経年劣化で破れて透明の梱包テープで貼ってある。 見かねたあっこちゃんが布でカバーすると言い出した。 イスの修理専門の職人に出すというアイデアも提案したけど、却下。 プロに頼んでパリッとやってもらうのは彼女も好きじゃない。

でも、僕は専門分野の廃材建築や自作できる道具などはするけど、裁縫仕事なんかは絶対にやりたくない。 こういうのはやりたい人じゃないと出来ない仕事。


友人からもらった足踏みミシンにモーターをつけた卓上ミシンで縫う。 にこちゃんは前からやってる刺繍の続きをしてる。


子どもたちがはけなくなったGパンを繋いで作った。

廃材の家には高級なインテリアは似合わない。 更には、骨董品、アンティークと完成された売り物みたいなのを全て拒否する空気がある。 「ある」というか、生み出した。 これが好みであり、嗜好性。

夫婦のやりたい事なり、情熱をかける分野は全く違う。 今回のイスの座面なんかテープの補修で十分やし、大きめの布をガバッと被せて裏からエアタッカーでバツバツッと留めるぐらいが関の山。 よもや、こんなにクソ手間のかかる裁縫ごっこなんかはやりたくはない。 でも、彼女の場合はこのチマチマした作業に歓びを感じるらしい。

ただ、「買わない」、「プロに頼まない」という所だけは共通。 そういう風にして手に入れるなり、完成したものにワクワクしない。 自分の手で何とかすることに歓びを覚える。

そう。 何にワクワクするか? 手に入れるために店をハシゴするのも、ネットサーフィンするのも楽しいもの。 でも、そうして手に入れたモノで究極的な満足は得られない。 だから繰り返し繰り返し、もっともっと、欲しくなる。 永遠に「買う」という行為が付きまとう。

じゃあ何に自分をワクワクさせてれば、要らんことに振り回されないのか? クリエイトな作業だ! アート活動とは一線を画する。 作品のための創作活動とは違うのだ。 自分の生活に必要なものを手作りするという当たり前の行為。 でも、そこには創造性やオリジナリティーといったアーィスティックなセンスが否応なしに盛り込まれる。

なぜなら、やってるうちにそうなってしまうもん。 やればやる程作業にハマッて、延々とやり続けるのは実践者には自明。

食べるもの、エネルギーと必要なものを物理的に自給するだけでは「自足」つまり満足は得られない。 精神的に、もしくは魂レベルでの自足にはクリエイト生活しかないぞ。

他から満足や癒しは得られない。 自分で掴み取れ!!!

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