5月11日、熊本の被災地に向けて出発し、14日の夜に帰って来た。
まずは、報告。


やはり現地に近づくと、電柱が傾いてたり、橋の両側で段差が出来てたりと、地震の迫力を感じる。 まだまだ通行止めの箇所も多い。
この芝生の広場が宇城市ボランティアセンターとして、僕らの滞在する拠点となる。

















こういうのを見ると、将来葺き替える時に、どうしようかと思う。 いっその事、板金の屋根の方がいいのか? いや、地震にはよくても板金の屋根は暑かったり、雨音がうるさかったりという日常的なデメリットも多い。 たっぱり、瓦と土の断熱にはかなわない。
いやいや、屋根裏にしっかりと断熱材を入れて、FRPでコーティングするのが一番なのか!? とか、作業しながら考える。
どのみち、家が使い物にならなくなっても、命さえあれば、また自分で直す。 これが、僕の結論。 家ごときのために永いローンを組んでみたり、金がないからと困ったりしないためにやってるのが廃材生活。 初めっから、瓦礫のような廃材利用で家を作ってるのだ。 屋根がどうなれ、またその時に閃くアイデアでいくらでも対応出来る。

実は、作業をした宇城市は、被害の大きい益城町から車で1時間ぐらい離れてる。 2日目の作業の後、益城町にも行ってきた。






今回の地震は直下型で、被害が集中というイメージがあった。 しかし、実際に行って活動した感じとしては、丸亀から高松ぐらいの範囲よりも広く屋根の被害は出てた。 益城町の最前線は本当に凄かったが、後は概ね屋根の被害。
地震関係のニュースなどでは、 「余震の不安」 「今後の生活の不安」 「経済t不安」 「将来の不安」 と、不安を煽る傾向がある。
もちろん、不安を抱える人もいるだろう。
じゃあ、どうすればその不安を払拭できるのか?
次の地震がいつくるのか? 今壊れた家を建て直すのにはどうすればいいのか? ライフラインをどう確保するのか? 食べ物の備蓄は? もし何かあった時の保険は? これからどうやって生きてゆくのか?
不安の根源とは何か?
ズバリ! グルグルと同じ呪文を唱えながら、何も行動しない事。
「どうしよう、どうしよう。」 と、言いながら、ネット眺めてたって、救世主は現れない。
で。
不安をなくすには!
一つ、一つ、思いついた事をするしかない。
例えば、自給自足とまで行かなくとも、焚き物の確保や井戸を掘るとか。 お米と調味料ぐらい、備蓄しておくとか。
実際に家が壊れようとも、 一枚づつ瓦を拾い集めて、軽トラ借りて来て棄てに行くとか。 ボツボツ家を解体するなんて、バールが一本あれば、寝たきりでもない限り不可能ではないぞ。
そういう、一つ一つの行動なしに、頭で考えるだけというのが一番厄介。
目の前に差し迫った事に、自分の労力を向けろ!
取り組まないから出来ないし、コツコツやってりゃ廃材天国のように出来るんだ!!
3、11の直後のブログでも書いたが、いい加減気付けよ! 天災や不慮の事故や何かで、イチイチ慌てふためいてて、生きてゆけんぞ。
安心を求めるからこそ、執念深く自力で何とかしようとするのだ。 何が起ころうとも、命のある限りはネチネチと生きるんだ!!!
軽妙なフットワークでね♪