9/5の「経済セミナーin廃材天国」大盛況のうちに終了!!
音声の入ったCDを希望者に送るというのを、音声をネット上に上げて聞けるようにします。 1500円送金して頂くと、音声セミナーのURLを送ります。
下のセミナーの詳細の中の申し込みフォームからではなく、haizaitengoku@gmail.comまでお願いします。 件名を「セミナー音声希望」として、住所、氏名、年齢、電話番号を明記して申し込んで下さい。
「経済セミナーin廃材天国」詳細 http://kadoya.ashita-sanuki.jp/e872115.html
いよいよ、9/5の「経済セミナー」当日。 まずは鈴木博之さんの講演。 大阪、京都、高知、岡山などの県外から、県内の知り合いを中心に、僕らも入れると30人を超える大所帯になった。
今の社会情勢の把握やこれからどうなるのか? と言った話から始まり、好きな事をして楽しく生きてゆくための面白い話が満載だった。
今は「知識社会」に移行したとも言われ、僕らが若い頃の「情報化社会」からは随分進展したとか。 パソコンやスマホの普及で、情報そのものの価値は低くなった。
情報を持ってるだけでは価値がなく、それを応用して上手く使ってなんぼ。 その使い方が「知識」だと。
例えば自給自足に当てはめると、 どうやってお米を作るか? 家の作り方は? エネルギーを得る方法。 料理のレシピや保存食の作り方。 自分で出来る民間療法。 廃材や不用品を得る方法。
これらの情報はネットを調べると、いくらでもノウハウは出てくる。 「味噌作り」と検索して、イメージの掴めない人は居ないだろう。
しかし、ここからがポイント。 どれか一つだけをたまの休日にやるのとは訳が違う。 全てを適度にこなさないと、トータルとしての自給生活は成り立たない。
休暇中にたまに焚き火で料理をするのとは次元が違う。 まさに、必要最低限、実質本位での作業に対する労力のかけ方。 鶏小屋を建てるのに、軸組みの伝統工法などお呼びじゃないし。
情報を上手く使うと言っても、知ったかぶりして、勘違いで頑張ってると、自給生活は持続しない。
「知識」というか、「知恵」やね。 今がやっと「知識社会」なら、今後は「知恵社会」だろう。
休憩を挟んで、坂元康宏さんの講演。
実際に日本の銀行やゆうちょにお金を預けてても、現金として金庫にあるのが5~10%しかない。 100万円を預けてるつもりでも、5~10万円しかない。 知ってる人には当たり前でも、大半の日本人は銀行とゆうちょに金を置くという構図。
実は銀行に預けてるお金だって、投資してる事には違いない。 銀行ははみんなのお金を日本国債などで運用して、微々たる利息を払って自分たちが儲けてるんやから。 本当は今の日本の経済状態なら、もっと利息を払えるのにもかかわらず、「景気がー。」とか言って、わざと利息を上げないんだそう。
いわゆる外国の投資までしなくても、引き出して現金で持つとか、その半分を円じゃなく米ドルに換えるとか、すぐに出来る対策はいくらでもある。
そもそも投資って何?
投資=人に役に立つ事にお金を使う 消費=自分のためにお金を使う 浪費=何も意義のない事にお金を使う
証券会社ばかりが儲かる、株式投資などは、そもそも投資じゃないって事。 何より坂元さんの提案する投資の条件が分かりやすかった。
投資される会社も投資する側もwin-winである事 社会貢献に繋がる事 どうやって事業を展開してるか現場に行って確かめられる事 ほとんどの企業が取り組んでいないニッチな案件である事 事業をやってる「人」が信頼できる事 右から左にお金を動かして安易に儲けるようでは事業ではない事
ここで詳しく書くと、膨大な量になるので、関心のある人は「セミナー音声」に申し込んでね。
セミナーの後は手作り料理で懇親会。
かぼちゃのコロッケ、金柑入り。
小エビの唐揚げ、レタスにはゴマ味噌ドレッシングを添えて。
コノシロの南蛮漬け(コノシロが隠れて見えんけど、、、)。
ナスとキュウリの梅肉おかか和え。
コリンキーとレンコンソテーのジェノベーゼ。
フレンチフライの青海苔風味。
ゴーヤと揚げのキンピラ。 若いゴーヤだったので、種ごと使ってナッツ風味。
どーんと、もちもちの玄米おむすび。
キュウリの酒粕漬け、キュウリのぬか漬け、カブの味噌漬け、高菜のぬか漬け。
外では手打ちパスタを茹でてもらった。
大勢なので、ビュッフェスタイルで自由に取ってもらった。
乾杯して、みんなでワイワイ盛り上がった。 「うちではこうしてるよ。」とか、ざっくばらんに具体的な話も出て楽しかった。 参加者のみんなも、色々と質問して、スッキリした様子だったので、僕も一安心した。
こう言ってる僕も、かつては環境団体の活動家として、講師を呼んで講演会を主催してた。 「温暖化対策」、「紫外線対策」など、行政や政治家に交渉したりしてた。
そういう社会問題を勉強すればする程、経済活動そのもの、お金そのものが諸悪の根源だと思うようになった。 今の原発再稼動や戦争法案もバックの経団連やアメリカの示唆だと考えると実際そう。 そういう邪悪なものと同一視して、「出来るだけ使わないぞっ!」と、自給自足を目指した。
一軒目の廃材ハウスで経験を積み、将来は本当に電気、ガス、水道ナシの、人里はなれた山奥で家族だけでの生活を目指そうとしてた。
しかし、一軒目の家を作る初期の段階から、近所の気のいいおっちゃんたちに教えたもらい、手伝ってもらって、やっと家が出来た。 生活を始めたら始めたで、野菜や果物をコンテナ単位で頂いたもの。 売れない陶芸家として、マジにカツカツだったので、大助かりだった。
そういう地域の人に世話になればなる程、「自分たちだけが自給して、無農薬のお米や野菜を食べて、いい空気の所で生活しよう。」というのこそがエゴイスティックに思えてきた。
そう。 社会問題から逃れて、自分だけいい子ぶるのに嫌気がさしてきたのだ。 お金を毛嫌いしたって、それらの社会問題が解決する訳ではない。
お金も包丁と同じような道具だ。 それ、そものもには、いいも悪いもない。
包丁は美味しい料理も出来れば、犯罪にも使える。 お金も、権力者に都合のいいように使われるばかりが能じゃない。
普通の庶民にも消費や浪費じゃなく、意義のある投資の情報が得られる時代になった。
この情報を使うのがまさに「知識」という自分の見識。 繰り返すが、情報そのものには価値がない。
自分が主体的判断をするのだ。 お金をどういう形でどこに置くのが、結果がどうであれ、自分が納得できるのか?
「あの人がいいと言ったから。」 じゃないぞ。 自分が責任を持った決断をしないと、実は納得できないのだ。
ココさえブレなければ、経済的健康が得られるぞ。 何も楽して稼ごうなんて、安易で強欲な発想とは間逆だ。
自給自足において、心身が健康なのはもちろん、経済的にも健全じゃないと、持続不可能。
そして真に健全なら、仮にお金に余裕ががあったとしても、浪費などはしないものなのだ!!!
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