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自給用田んぼの手植えの田植え②

田植え2日目は朝から雨。





手植えのような延々と続く農作業はワーキングメディテーション。 感覚が研ぎ澄まされ、自分の今が客観的に見えてくる。 何が必要で何が不要かが明確になる。 プレッシャーやストレスのないこういう作業が一番、自分を浮き彫りにする助けになってくれる。











今年の田植えは3日のうち2日は雨だった。 近所の通りがかりの人は「雨の中大変やなー。」と言うてくれる。 でも、本人たちはピーカンで田んぼがお湯のようになる暑さよりは消耗度が全く違って楽だった。

どっちにせよ、泥にまみれて腰をかがめて重労働の田植え。 まだ、牛じゃなくトラクターで代掻きしてるんやから楽な方。

豊葦原の瑞穂の国に生まれたのだ。 神意によって、稲が実り豊かに暮らせるような環境なのだ。 別に神話云々より、地理的にこの温暖湿潤気候で稲作に向くのが日本の特徴。

廃材いじって、世のスキマで生きていくというよりも、堂々と先祖代々の田んぼを耕して稲を植えるという地に足をつけるのが大前提。

田んぼには稲が植わってて、納屋には去年のお米が一年分ストックされてる。 庭には焚き物が山と積まれて、イツ何時何が起ころうとも、食とエネルギーには事欠かない。 廃材の家が地震で壊れようとも、更にいい家を作るのにワクワクしてしょうがなくなるだけ。

先祖に感謝するのは言う間でもない。 もとより、日本人としてこの地に生まれ、こうして田んぼがある事で磐石の生活が約束されてる事が奇跡であり、当たり前の事実だぞ。 朝から夕方まで田んぼで労働しさえすれば。

未だに原発の放射能云々とか、マイナンバーがどうだ、集団的自衛権を認めようとする今の総理や政府はけしからん、、、などとボヤく暇があるのはやり切ってない証だ。

十分酔って眠くなっても、五右衛門風呂に入りながら、勝手に手が苗を植えようとしてしまうぐらいにやってみんかい!!!

「やり切ってないからやり切れないのだ!」

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