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自給用田んぼの手植えの田植え②

田植え2日目は朝から雨。


当然合羽を着て植える。 一日目は昼からの半日で一枚目の小さい田んぼを植え終えた。 これが2枚目の田んぼ。


これは3枚目の一番大きな田んぼ。 一反4畝(約420坪、約1400㎡)ある。 うちで一番大きな田んぼは2反(約600坪、約2000㎡)が廃材天国に成り代わったので、2番目に大きな田んぼがコレ。


3日目は曇り。 何と野遊の同級生が2人も手伝いに来てくれた。


ピンクの上着は、かつて県内から見学会に来てくれた若い女性。

手植えのような延々と続く農作業はワーキングメディテーション。 感覚が研ぎ澄まされ、自分の今が客観的に見えてくる。 何が必要で何が不要かが明確になる。 プレッシャーやストレスのないこういう作業が一番、自分を浮き彫りにする助けになってくれる。


恒例のみんなでご飯。 カレーうどんと玄米おむすび、きゅうりのサラダ、糠漬け。 しかし、中学生はよく食べるねー。


3日目の夕方早目には3反全部植え終わり、最終チェックで一通り見て回る。


夜に蛙の声を聞きながら水を見に行くのがまたオツなもの。


夜は瀬戸内のタコで「さんばい」というこの辺りの風習。 タコの吸盤のように苗がよく吸い付くようにと、タコを食べる慣わしの事。


これは雅作の鹿の燻製。 京都の北部の山ではしょっちゅうもらえるので、鹿料理に研究に勤しんでる。 これも絶品だった。


晩ご飯の後は子ども達のお楽しみの花火大会。 野遊のブレイブボードに乗りながらの花火が最高だった。


更にその後は廃材の家までトラクターを乗って帰り、庭でヘッドライトつけて練習。 何しろ熱意が半端ないんで、すぐに覚える。


今朝水を見に行くと、もう青々と活着した苗もあって、ビックリ。


反面、こんなひょろい苗もあり、「大丈夫か~!」とという気持ちにもなる。 こんな一本の苗が30本以上に分ケツしてがっしりとした稲になる。 「信頼して任せる。」これが、農と教育の共通点。


雨の田植えの後はよく晴れた。

今年の田植えは3日のうち2日は雨だった。 近所の通りがかりの人は「雨の中大変やなー。」と言うてくれる。 でも、本人たちはピーカンで田んぼがお湯のようになる暑さよりは消耗度が全く違って楽だった。

どっちにせよ、泥にまみれて腰をかがめて重労働の田植え。 まだ、牛じゃなくトラクターで代掻きしてるんやから楽な方。

豊葦原の瑞穂の国に生まれたのだ。 神意によって、稲が実り豊かに暮らせるような環境なのだ。 別に神話云々より、地理的にこの温暖湿潤気候で稲作に向くのが日本の特徴。

廃材いじって、世のスキマで生きていくというよりも、堂々と先祖代々の田んぼを耕して稲を植えるという地に足をつけるのが大前提。

田んぼには稲が植わってて、納屋には去年のお米が一年分ストックされてる。 庭には焚き物が山と積まれて、イツ何時何が起ころうとも、食とエネルギーには事欠かない。 廃材の家が地震で壊れようとも、更にいい家を作るのにワクワクしてしょうがなくなるだけ。

先祖に感謝するのは言う間でもない。 もとより、日本人としてこの地に生まれ、こうして田んぼがある事で磐石の生活が約束されてる事が奇跡であり、当たり前の事実だぞ。 朝から夕方まで田んぼで労働しさえすれば。

未だに原発の放射能云々とか、マイナンバーがどうだ、集団的自衛権を認めようとする今の総理や政府はけしからん、、、などとボヤく暇があるのはやり切ってない証だ。

十分酔って眠くなっても、五右衛門風呂に入りながら、勝手に手が苗を植えようとしてしまうぐらいにやってみんかい!!!

「やり切ってないからやり切れないのだ!」

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