ハゼの木に吊るして乾燥させてた稲が乾いたので脱穀作業。
めんどくさいのでスズメ除けもなし。 多少は食べられるけど、知れてる。
親父がハーベスタ(脱穀機)に稲の束をかませてジャンジャン籾が出来る。 他の者は脱穀後のワラ束を田んぼ中に広げたり、ハゼの木や杭などの後片付け。
カマの柄を廃材で延長して長くする。 これでバインダーの紐を切るとイチイチ腰をかがめなくて済むので楽。
子どもたちが杭の結び方を覚えてほとんどやってくれた。 ハゼの木を固定してた畳のヘリで結ぶ。
土歩も天木が運べるようになってきた。 こういうのは得意になってジャンジャンやってくれる。
これは氏神様の神社のしめ縄用に別にしておく。 毎年親父がこれを持ってしめ縄造りを手伝いにいく。
あっこ、ゆかりなどの女性陣と子どもがどんどんワラを広げる。
僕が田んぼの縁の土を中に放り込み、野遊が広げる。 毎年トラクターを使うとどうしても土が周囲に寄って、中に低い部分が生まれる。 深い部分はジャンボタニシの害にも合うし、回転式六角定規にとっても、跡がつきづらくていけない。
野遊がクラッチに足が届くようになり、トラクター初運転。 車よりは簡単なトラクターなので、すぐに覚えた。
早速、土を運んでたタイヤショベルが煮え込んで(ハマる事)ワイヤーで引っ張ってもらった。 こういうトラブル対策は作業の中の一環として当たり前の事。 ワイヤーかけてバール差し込んだり、「ここ持っといてくれ!」とか色々助かる。 運転を覚えるのと同時に覚える必要のある重要な項目。
その後も延々と続く脱穀作業とワラ広げ作業に杭の片付け。 土歩(9)は飽きてきたりもするけど、野遊(11)ぐらいになると作業モードが長続きする。 この日は休んで手伝ってくれた。
脱穀作業を終えると籾を満載した軽トラで高瀬の河野さんの籾摺り場を目指す。 百姓アーティストの河野さんの籾摺り場もセルフビルド。
建物のセルフビルドのみならず、中古の乾燥機と籾すり機をタワーで繋いだり、ウインチでエレベーターを作ってたり、ほぼ自作の籾摺り場。 この機械やら設備を全部金出して作ってたらいわゆる「合わない」とかいうダサい愚痴が出る。 河野さんのソツのないボロい機械の使いこなしと自作のノウハウによって、十分採算にも乗せて30年も続いてる。
04型のユンボが小さく見えるスリヌカ(籾ガラ)の山。 畜産関係の人や畑に燻炭作って入れたりする人がせっせと取りに来る。 うちのコンポストトイレに入れるのもこのスリヌカ。
丸亀まで帰り、実家の納屋の玄米貯蔵庫に収納する。
入りきらないのは納屋の中に置く。 夏前までに食べる分は貯蔵庫に入れなくても大丈夫。
約20俵(30㌔の袋40体)採れた。 これで一年分のお米を自給出来る。 実家、廃材天国、弟の所と3家族が食べて、親戚にも配ったりして十分。 本当にお米は効率がいい。
親兄弟で協力して出来るのもいい。 親が元気なうちに田んぼや地域の事に慣れて、田舎でしたたかに生きていけるノウハウを得る。 そして、子どもや孫に伝わってゆく。 いままでもそうしてきたし、これからもそうなってゆく。 何の心配もないし、ここではあらゆる社会不安の要素に打ち勝つだけの力が漲る。
このお米を毎食玄米で食べる。 麹にして味噌を作る。 甘酒と米飴で脱砂糖生活を送る。 こういうお米と発酵食中心の生活で、放射能やPM2、5ごときの影響は受けない。
更には薪の生活で身体を芯から温めて、万病の元凶である冷えも解消する。
何より、他人の顔色を伺ったり、ビクビクするストレスが皆無なのも必須だぞ。
いつも言うてるけど、この生活の達成は目的や夢というオウギョウなものじゃあない。 極めて当たり前の生活。 努力や競争から逸脱した、無敵の暮らし。
この生活自体がやりたい事であるし、この盤石の暮らしを前提に色々やりたい事やって暇つぶしする。
さあ、次は何やろっかなー♪
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