最近は陶芸の作業をしながら、合間で天ぷら油の回収や発酵食品作りという日々。
先日味噌作りをしたので、来年味噌を仕込む用に甕を作った。 こんなのを何個か作ろう。
僕が陶芸の作業をしてると、土歩やにこちゃんが工房に来て真似をする。 野遊と土歩は電動ロクロで小さいものを引けるようになってきたり。
「したい事をする」 とか言うたって、子ども自身が自発的に何かをするのにはバリエーションに限界がある。
基本は大人のマネ。 料理 大工仕事 風呂焚き 薪割り お菓子作り 畑作業 田んぼ 味噌作り そういう作業とかじゃなくても、パソコンのタイピングや出店の時のポップ作りなんかも。
「やらせてー。」の連発。 どの子も2歳から本物の包丁でやってる。
彼等からすれば大人のやってる事は全て魅力的。 その大人が毎日同じ事の繰り返しを退屈そうにやってたのでは、マネのし甲斐がない。 マネしたくなるのは身体と感覚を使う作業だったり、創作的な活動なのだ。
こういう生活するための作業って、誰にでも出来る事。 自転車に誰でも乗れるように。 車の運転だって、練習する事で誰でも出来る事の代名詞。
料理を始め、手作り生活に必要な作業が、「出来んわー。」というのはやった事ないというだけ。 もしくは、「やりたいけど、時間が、、、。」というのが典型的な現代人。
月にいくら要る。 この金の呪縛があるからこそ、どこかに勤めて定期収入を得ないといけない。 逆に独立して自営や起業しても、借金してしまうと「稼がな!」という強迫観念がつきまとう。
この廃材生活ではよっぽど必要な道具や素材にしか遣わない。 遣わないから稼ぐ必要がない。 ほんのちょっと必要なぐらいには多少仕事すれば余る程。
本当に必要じゃないものは、そもそも欲しいとすら思えない。 反対に本当に必要なもので、買えないものなんてなくなる。
この価値観の問題は活字や話では伝わらない。 具体的に田舎での生活を始めてしまえば、やるしかなくなる。 やってりゃ出来る。
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