手作りの生活での子育て論

最近はにこちゃんの料理熱が凄い。 必ず毎日何か作る。



子どもたちも「ゴーヤは苦いから嫌い。」と決めつけてるけど、この甘辛い揚げと一緒に食べると食べられたよう。 子どもと言っても、にこちゃんと野遊では年の差があり、もう味覚が随分と違う。 野遊ぐらいになると、ちょっとは大人の味覚に近付いてくる。 小さいうちは苦いものや辛いものは全く受け付けない。 それでいい。


キュウリが大ぶり過ぎて、味が絡まなかった。 お皿ももっと大きなのに入れた方がキレイなのよ、とか言われたけど、「これがいい。」と言う事だった。

にこちゃんは暗い色の焼き締めの器じゃない、こういうどこかからもらって来た磁器の器に入れたがる。 ウチにはほんの数点しかないから稀少というのもあって、白い器に憧れてる。

デモクラティックスクールでは、こういう何の根拠もない「決定」が頻繁にされる。 その、理由もないけど「自分が決める」という行為が大事なのだ。 で、不味かったり実際に問題があって、初めて本人が「もっとこうした方が、、、。」と、改める気分になる。 多分、次はキュウリをもっと薄く切るんちゃうかな?

大人から見ると、「そんなん事するより、もっとこうした方が美味しいのに。」とか、経験で分かってしまう。 でも、それを押し付けて、「こうしなさい!」とばっかり言ってると、子どもはヘソを曲げる。 子どもであろうが、大人であろうが、誰だって他人の思い通りにはならない。 「したいようにする」事が一番モチベーションが上がるのは説明するまでもない。

かと言って、何も干渉しない「放任」と「躾」は何が違うのか? うちでは大人の生活も子どもの生活も一緒。 その中で、子どもたちにも役割があり、鶏の世話や風呂焚きは子どもの仕事という事になってる。 用は子どもにもその役割を全うする責任があるという自覚があるのだ。 その中で、子どもの状態を見ながら、大人が手助けする。 よっぽどやりたくない時には代わる。 そういう日常の中で、僕ら夫婦の大事にしてる事を伝える。 これが躾だ。 理不尽な押し付けじゃなく、理由が分かって、「納得する」事だ。

大人がゴロゴロしてて、子どもが立派に育つ訳がないぞ。 教育の問題は公立学校か、フリースクールかという問題じゃない。 家庭の中にある。 とにかく、親の生活スタイルが一番影響を与えるのだ。




こういう日常の一緒にする作業こそが最大の躾であり、教育なのだ。

「子どもの教育がなってない!」というのは自分のやってる事がそのまま反映されてるという事なのだぞ!!!

#子育て