廃材天国から歩いて行ける実家で、陶芸の窯焚きがあった。
この廃材天国はその実家の持つ田んぼだった。
実家の親父も陶芸の窯焚き用に廃材を集めてる。
僕が備前焼の弟子を経て実家に帰り、親父と一緒に薪の陶芸を始めた頃。 何せ大量に薪が要る! 近所の庭師さんや、工務店から廃材をもらい始めた。
一気に大量に廃材が発生するのはどこだ? 家を解体した柱や梁などの廃材だ。
という事で、タウンページの「解体業」のページにある丸亀市中の業者に電話をした。 この時の電話ローラー作戦は紹介とかなく、なりふり構わず片っ端から電話をかけた。 当時(1996年ごろ)まだインターネットは普及してなかった。 それこそ、タウンページってまだあるんかな? 104の電話番号案内が有料だったとか、今の若い人には信じられない世界。
電話口で 「陶芸の窯を焚くのに大量に廃材が必要なんです!」 と。 相手にされない会社もあったが、 「現場に取りに来たら。」 という会社も!
軽トラで取りに行き、現場の職人さんの邪魔にならないようにセッセと運んでた。 そのうち、 「兄ちゃん、そんなんではラチがあかんからウチの2t車で運んでやるわ。」 という展開に!
未だにその会社とはお付き合いしており、電話一本で山盛りの廃材をダンプが持ってきてくれる。
しかし当時は、セルフビルドで家を建てようは思いもよらなかった。 大量に運び込まれてくる廃材を、ひたすらチェーンソーで切っては燃やしまくってた。 でも、無意識に、 「こんなキレイな柱燃やすのもったいないなー。」 と、一本、また一本と取っておくようになった。
丁度その頃、ハセヤンの廃材王国という書籍に出会い、 「これやーーーー!!!」 と、スイッチオン!
で、17年間廃材建築やり続けてる。 今後もまだまだ止められない。
この累々と積み込まれた廃材で、2~3日分の燃料。 何しろ1週間も昼夜を問わず、焚き続けるので莫大な量の薪が要る。
最初は窯の下に開けた焚き口から薪を差し込むようにして焚く。
温度が上がり800℃を超えると、開閉式の上のカマボコ型の焚き口から薪をくべる。
僕の担当は0時から8時までの夜中。 シーンと静まり返った中、パチパチと薪のハゼル音と、窯がゴーッとエアを吸い込む音だけになる。 ゆったりとした超贅沢な時間。
更に温度があがると、焼き物の表面がガラス状にキラキラ光ってくる。 これは何度でそうなるというものではなく、トータルのカロリーで焼ける。 例えば一日で焼いてしまう電気窯の場合は、1200℃以上に上げないといけない。 薪の窯の場合だと1050℃を何日もかけると、同様に焼ける。
薪をくべると、バキバキバキッと音をたてて一気に燃える。
薪をくべた瞬間はもうもうと黒い煙が出る。 この煙もほんの10分もすれば透明になり、完全燃焼に入る。
最後は1200℃近くまで温度を上げる。
7日間焚いた正面の焚き口は泥で密封して、最後の一日は横焚きに入る。
細く割った薪を差し込むようにして焚く。
窯の両サイドから焚くので、土歩とにこちゃんの二人体制。
焚きあがりは、強烈に燃え盛る窯の中の作品の色を見て最終判断をする。
そろそろかなというタイミングで、鉄筋を差込み取り出す。
ピカピカの作品が出てくる。
急冷されて、一瞬で色づき始める。
ほんの数秒経つと、どんどん冷める。
この間、数十秒。
これで、横焚きの口もレンガと泥で密封して、窯焚き終了! 一週間自然放置で冷ませば、窯出し出来る。
廃材の薪が無尽蔵にあってこその窯焚き。
僕は最近全然作陶出来てないので、また次回は作りたいな~。
Comments