せっかくユンボが来たので、廃材天国内の造成をしようと思い立った。
雨が降ると、鶏小屋の前がジュクジュクする。 そこへ花崗土を入れたいと思ってた。
まず邪魔になってる、焚き物をよける。 野遊はユンボに乗りたくって、テキパキと作業する。
野遊オペレーションに挑戦。
ここには以前に解体した家から出た廃瓦が何年も積まれてる。 これも、低い部分に敷き込む。
基本の操作は何とかく覚えて、ソコソコの作業をこなす。
この奥に積み上げられてるのは、「残土」としての花崗土。 近所の土建屋が持ってきてくれたもの。
すくっては旋回して土を手前側に持ってくる。 ちょっとは野遊も慣れてきた。
結構持ってきたがまだまだ必要。 この辺りで暗くなってきて、作業終了。
残土はまだあるので、もっと掘って持ってこよう。
一度花崗土で造成した土地を、再度掘り返して出た土は「残土」として棄てられる。 なぜなら、少しでも草やコンクリート片が入ると、造成する時の土としては使えないそうな。 ましてや、田んぼの土や粘土のような、「しっかりと締まらない」土はもっての他。
そういう過剰な常識には理由がある。 普通の建築現場では造成から建築までを数ヶ月で仕上げるのが常。 そういう場合に、粘性のある土はNG。
なので、「欲しい!」と言えばもらえるのが「残土」。 産廃とか廃材と言っても様々。
草やちょっと他の土の混じった花崗土。 田んぼを住宅にする時の造成で出る、表面から30㎝ぐらいのよく肥えたいい土(柔らかいので除去する)。 解体現場で石膏ボードやら何やかんやが混じった土。 水路の工事で出る粘土。
これらは全て、「建設残土」。 土自体に客観的な、いい悪いはない。 石膏ボード入りの土のようなのは別だが。
ただ、こと建築時の造成においては花崗土なり、 砕石(バラス)もしくは、再生クラッシャー(コンクリートを砕いたもの)のような、 「沈み込みのない締まる素材」が当然要求される。
「締まる」という観点であれば、廃瓦と適当な残土を混ぜれば抜群に締まる。 自分が素材の出所を直接知ってて、自分の土地に自分の責任で使う分には何の問題もない。
そこらが、自分のためのセルフビルドと、行政から認可を受けた業者として請け負ってする仕事の大きな隔たり。 「家を建てる」という日本語が、全く別次元の捉え方になる。
農、食、医、エネルギー、なども全部一緒。 自分で自分のためにという捉え方と、行政や企業としてのそれら。
国や県がどうのこうの。 大手企業が問題を起こしただとか。 深く考えるまでもなく、問題は起きて当然。
そこで、「自分で自分の生活の事に責任を持ってやってみたい。」と思った。 それが15年前。
自給自足とは、そういう捉え方の癖がつけばつく程実現してゆく。
もちろん、白か黒かの二択ではない。
ちょっとづつ、
出来る範囲で、
と、やってるうちにねー。
辞められない、止まらない、の自由な生活が実現した!
ホント最高っ!!!
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