古民家の腐った柱の交換と、床の全面リフォーム

3回目となる高知の渡貫家の廃材建築での古民家改修工事。 月に一回づつ通ってる。

前回の様子 http://kadoya.ashita-sanuki.jp/e723171.html

今回も2泊3日で行ってきた。 前回の日記のカンナとノミの研ぎ作業はこの作業のため。















既存の家そのもののレベルが一定じゃない。 柱が腐ってる方に家が傾いてるとかいう「傾向」すらない。 アチコチの水平がちぐはぐで、柱さえ垂直じゃない。 厳密言うと3次元的なグニャグニャの状態。 それに合わせて、何とか新しい床を水平に近付けたり、建具がちゃんと動くようにしないといけない。 これはプロならもっと徹底的な大改修になると思われる。 それを何とか3日で粗方のメドをつけて、洋介くんに渡さないといけない。

途中、一瞬頭を抱えたが、いつものノリで強引にツジツマを合わせる。 そうするしかないのだ。 住む本人と一緒に作業して、常に本人の同意の元でやってるから大丈夫。 どうにかこうにか住むレベルに持って行くためには、アホらしい程の細かい事のためにこだわって途方もなく労力をかける訳にはいかない。

よく、こんなボロい家を借りたものと感心する。 買った家ならいざしらず、借りた家をここまで住む者が直すか? 洋介くんからすると、この新しい作業が楽しくてしかたないんやと思う。 この経験は必ず次に活きる。

「自分の住む家を自分の納得する所まで自分で直す」 こうすることにより、責任を持って作業出来るし、逆に不必要な手間なり、細かい所は割愛できる。




洋介くんは作業を始めて、というか住み始めて一年も経ってないのに、解体現場を見つけては声をかけて現場で一緒に作業をしながらあらゆる廃材を集めてる。 床材も結構いいのが揃ってたし、アルミサッシも一組あった。

そう、自分の日当はタダなのだ。 時間はいくらかかっても構わない。 大借金して、それの返済が迫られてる訳でもない。 田舎で既成概念から自由になり、自分の納得する生活をするということは、「いつまでにしないといけない」という強迫観念からの解放なのだ。

増税? インフレ? ワーキングプア?

そんな国家の政策なり、経済情勢なんかどこ吹く風だ。 自分で責任を持って生きさえすれば。

覚悟を決めろ! 地に足をつけろ!

フワフワと妄想せずに朝から夕方まで作業せよ!

渡貫家の仕事で助かるのは要らないおやつが出ない事と、食事がウチと同じく玄米菜食な事。 朝一からバリバリ働き、午後に眠くなる事もない。 頭脳も明晰で、クールな仕事に、食のクオリティーだけは妥協出来ないぞ。 シネマちゃんの料理にはあっこちゃんに教えたくなる発見が満載だった。

そういう情報交換も手作り生活の同士としては有効なのだ。

#古民家