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【餅つき】薪でモチ米を蒸して、石臼で搗く

恒例の実家での餅つき。


古いセイロでモチ米を蒸す。


この蒸し上がったモチ米を潰す作業が重要。


順番につく。 土歩も随分戦力になるようになってきた。


野遊は一臼搗ききるという成長ぶり。


親父が「きな取り」の手本を示し、皆学ぶの図。 この手腕で、搗き手の搗きやすさが断然違う。


みやびは結構慣れてる。


3斗5升で、20臼以上搗き終え、セイロを外した羽釜に大量の鰹節を投入。


鰹節を取り、これまた大量のネギと揚げを投入。 塩、醤油、味醂で味を調整してうどんも投入。


餅搗きの後のこの釜煮込みうどんも毎年恒例。 これがめっちゃ美味い! これで正月を迎えられる。

確か、僕が小学生の頃はモチ米はガスで蒸し、おじいちゃんが電動の臼でモチを搗いてた。 親父の友達連中で、「折角臼があるんなら杵で搗こう!」と数家族が集まってやりだしたのが、30年ぐらい前。 以来、毎年集まってはこうしてワイワイ搗いてる。

まだこの辺りでは電動であろうとも、大抵皆家で搗いてる。 モチってなぜか買うと結構高い。

昔はウチの家一軒だけで一俵(60㌔)のモチ米を搗いてたというから凄い消費量やったそうな。 今は食べるもんの選択肢がようけあるからね。 正月やからと言うてモチばっかし食べる事もないし。

現在ウチでは、医食住、エネルギー、教育、、、生きる事にマツワル何やかんやを自給しつつある。 「買わんでも廃材でええやん。」という本人たちには極めて当たり前の生活。 こういう廃材エクストリームライフスタイルは常軌を逸脱してるかのように見えるかもしれない。 決して古き昔の生活という訳でもない。

しかし同時に、農村の古くからの集落に属し、伝統文化の中での生活。 農村の風習や地域の行事、冠婚葬祭とは切っても切り離せない。 悪く言うとしがらみまみれ。

その中でソコソコ体裁を保ちながら、明らかに嫌な事は辞めたり変えていくのがコツ。 今年の夏おばあちゃんが亡くなった時にも、近所の人が手伝いにきてくれて座敷で葬式をあげた。 でも、お寺の住職は呼ばずに親父が御経をあげる密葬という形を取った。 派手なお供え物もナシ、棺桶と霊柩車は丸亀市が5万円で出してくれるというサービスも利用した。 それはおばあちゃんの遺言でもあったし。

日本人としての文化は云々カンヌンなどと言ってる訳ではない。 モチを搗かないと一年が終わらないし、正月が来ない。 そういう設定が心地いい。

毎日同じ事の繰り返しは退屈だが、毎年恒例のこういう行事というのはアットホームなもの。

世間がどうなれ、自分の心地いい設定をかけるのだ。

目をヨソに向けて、要らん事に右往左往させられるなよ!!!

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