二階の下の工事を始める前に、母屋の畳の入れ替えを考え始めていた。
08年から生活を始めた廃材の家。 当時畳屋からもらって敷いた畳も子どもたちの活躍によって擦り減り方が半端でない。 ターザンやら走りまくったりやら、すり減る要因が多過ぎ。
畳の廃材もまたキレイなモンで、「これが棄てられるんか?」というレベル。 賃貸の部屋は人が出ると必ず新しくするようで、次々と出るんだそうな。 いきつけの畳屋では常にゴザ(畳表)や畳のフチのビニール(強力に縛るためのヒモとして)をもらってる。 行くたんびに、「もっとどう?」と超勧められる。 そのぐらいこれも処分に金のかかる厄介者。
新たにもらう時には社長にお願いして、大きさの揃ったのをためておいてもらう。 大きいものでは194㎝×94㎝とか、小さなものは172㎝×87㎝とか、その間にも2、3㎝違いのあるものもある。 畳屋に新規に注文すると、家を測りに来てあつらえるので、ほんの少しの差が生まれるよう。
しかし、廃畳をもらってタダで畳を敷こうと思えばサイズの違いに苦戦する。 廃材利用は全てにおいて、「材料ありき」。 材料に合わせて臨機応変な対応が求められる。 というか、「別にキッチリ合わんでもええやん。」と開き直らないとやってられない。
自分自身の生活のためにやってるのだ。 全ての工程において【プロの仕事を目指さない】。









しかし、畳の壁面作業のサクサク感はどうだ! 板壁のような下地を作る必要もなく、いきなりドンと置けばいいだけ。 もっとも、筋かいがあるお陰で、そこへ持たせ掛けて釘打ち機で留めるという超スピーディーさが実現してる。
廃畳をもらう率としては本畳の方が少ない。 実際に廃材家の母屋に敷いていたのも大半がスタイロ畳だった。
うちは自然素材にこだわってる訳ではない、廃材にこだわってるのだ。 タイやラオスの竹の家や、南アフリカのバラックを見て、何で日本の家はこんなにも贅沢に金をかけるんだ???と思った。 別に立派な素晴らしい家じゃなくっても、現地の子どもたちは超楽しそうに暮らしてた。 貧困地域の大人は別やけど、、、。 基本、田舎は大人も楽しそうやった。
そうして自分で家を建て始めようとして、解体現場に通うようになった。 そこにあるものは全て棄てられるのだ。 「えっ、コレもいいんすか!?」と欲しいものは何でも持って帰れる空間。 コソコソせんでいい。 堂々と泥棒と同じ事が出来る。
中には昨日まで生活してたまんまのような現場もあった。 家の中にある家財道具、電化製品、布団、衣類、台所用具、農機具、、、施主は丸ごと解体屋に処分してもらうケースが多い。 まあ、めんどくさいんやろね。 特に農家のお年寄りが亡くなって、取り壊される家がそういう感じ。 施主である息子は自分が生活してなかったその家そものにも、中にある品々にもまったく関心がないんやろう。
金になるものは解体屋と提携してる古物屋が買いに来るケースもある。 解体屋の社長に聞くと、大きな壷に数十万払ってくれる事もあるとか。
僕が行くのはそういうモノ目当てじゃない。 特に一軒目の廃材ハウスの時は道具だって一から揃えながらだった。 クワやバールをホームセンターで買おうと思えば一つ2、3000円はする。 そういう道具が解体現場の農家の納屋にズラリと揃ってるのだ。 それはそれはありがたかった。 金物屋が現場だったり、大工さんの倉庫が現場だったりすると、有頂天になり過ぎて制御不能状態で獲りまくった。
この解体現場通いがあって、この廃材天国が出来てるのだ。 もっとも「廃材で家を作るために計画的に、、、。」というよりは、獲るのが楽しくて通ってた節もある。
何せ、解体現場の味を覚えると、値段のついたホームセンターの材料がアホらしく見えてしかたがない。 4寸角、3寸5分角、20㎜厚の座板、同じものがタダで手に入るんやから堪えられない快感。 まして古い家の丸太や12㎝×30㎝とかの鴨居なんかはホームセンターでは売ってないし。
いくらやっても飽きのこない廃材建築は芸術や文化以前の最もプリミティブな感覚。 洞窟を見つけて住めるようにしたり、穴を掘って生きてきた血が騒ぐのだ。
「あるもんで」 「即興」 「テキトー」 「しかし確実に生活してゆく」
この盤石の生活を成り立たせるには廃材しかないっ!!!